2005年6月4日 DE耐 参戦記
チーム名: propman.jp カモメ
ライダー: 中川暁夫 中尾昌弘
昨年のDE耐で乙チームとして出場した、私(だいすけ)と中川プロが組み、日産追浜工場から助っ人の森君、そして最後に人数合わせ(?)で磯子の埠頭でひざを擦っていた中尾ちゃんを加え、2005年のDE耐を共に戦うことになった。
レース経験が限りなく無いに等しい2人と、全くの未経験者2人という、どこからみても超初心者チームが昨
年11月に結成された。さらに監督の期待薄という太鼓判付きのチームであったが、まめにミーティングをし、
どノーマルのエイプ100をRS125風に仕上げるのには努力とお金とお金を費やした。社会人ともなれば、ま
ずは外観重視でしょ!ということで、足回りやらカウルにこだわり、エンジンは最後の最後に検討する
という珍しいアプローチで攻めてみた。実際にエンジンが組みあがったのは本戦5日前というから、かなり練
習不足&データ不足で、本番を迎えたわけであった。
レース当日は雨との予報が的中するかのごとく、朝からどんよりとした空模様であったが、幸い持ちこたえてくれ
ていた。サイティングラップを終え、24番グリッドにマシンを置き、いよいよル・マン式スタートの合図を待つ中
川プロの心境は、「絶対にバイクにたどり着くまではコケねー」であったに違いない。オープニングラップを26番
手という無難なポジションで戻ってきて、慎重に周回を重ねつつ順位を上げていった。
(注) 筆者だいすけは昨年のDE耐スタートにおいてマシンに跨る前に転倒と言う偉業を成し遂げている
中川プロは今年は2回転半と言う噂も・・
まもなく2番手の中尾ちゃんに交代。カモメ唯一の20代であり、さらにチーム平均年齢も来年まで20代に抑えてくれる貴重な
存在である。しかもフタを開ければチーム最速タイムの2’50”292をマークしていたのだ。ここでさらに順位を上げることが
できた。本人も充分楽しんでいたようだ。
そして3番手の森君へ。やや緊張の面持ちのままコースインしていったが、かなりテンパっていたようだ。一発ドラドラで
満貫転倒しなかったのが幸いであった。サインボードを見ない、あれ?では次の周ではどうだ?見えていない、あれれ?
かなり極限状態にある様子。しばらくするとセーフティーカーが入り、一斉にツーリングペースになりホームストレート
を通過していく。ここで我に返った森君、ようやくボードを確認。ライダー交代へ。最初は誰でもそんなもんです。
4番手のだいすけ。やっとオーナーの出番である。満を持してコースインするものの、あまりのスピードの違いに戸惑うが、
ストレートでのスピードの乗りはかなり爽快であった。
今までどノーマルで散々ぶち抜かれてきた雪辱を大いに晴らした。それにしてもやたらと
イエローフラッグが出ていたのが走り辛かった(言い訳?)。
2順目に入り、ここまで淡々と周回をこなしてきたカモメが残り1時間半のところで5回目の給油を済ませると、
溢れんばかりの残量があることに気づく、と同時に順位も18位前後と、
比較的良い位置にいるではないですか!一体今までどのような燃費で走行してきているのか分からない。
さらに、将博さんのコンピュータをもってしても最後の数周にはガスがマイナス残量という計算を
はじき出しているが、ここでカモメ緊急ミーティング。「給油をすれば完走はできるが、
上位は狙えない。無給油でライダー交代のみで行けば、ガス欠リタイアか入賞圏内。」
この決断に時間はかからず、無給油作戦に異議を唱える者はいなかった。実はカモメは今年のDE耐は
2年計画の1年目、来年が本命である。だめもとで挑めるのであった。
最後に、こんなチームのために死力を尽くしてマシンを仕上げていただいた鬼監督に、感謝の意をお伝えす
るとともに、金曜、土曜と作業およびヘルパーとして力を貸していただいた方々に心からお礼を申し上げま
す。これからは、チームプロップマンとしての自覚を第一に行動してゆきたいと思います。まだまだ至らぬ
ところの多いカモメではありますが、今後とも宜しくお願いいたします。2005年DE耐、我々は大いに勉強
させていただきました。ありがとうございます!