2005年propman.jp タカ レポート 亀井
第一ライダー:亀井将博 カメイマサヒロ 既婚、 3人の子持ち
第二ライダー:三浦茂憲 ミウラシゲノリ 独身、日本よりも中国東南アジア滞在期間が長い半日本人
第三ライダー:永易量行 ナガヤスカズユキ 既婚、バイクに乗るのが1年に一度のDE耐ライダー
第四ライダー:菊地昭男 キクチアキオ 菊チャン。新婚、携帯メアドにLOVE連発で熱々の運転手
の4名によるDE耐参戦物語である。
序章
「集合」その短いメールからこの物語は始まった。送信者は有限会社PROPMANの社長であり今回のDE耐プロジェクトの鬼監督でもある石井博幸である。亀井は鬼監督が16歳の時からの知り合いであるが、最近の鬼監督は二重あごの兆候も見え始めオヤジ化が著しい。オヤジ化した鬼監督の意図はDE耐のチーム編成発表であった。DE耐は基本的に4人一組で走る7時間の耐久レースであるが、チームPROPMANからは大量5台がエントリーしており、どのマシンに誰が乗るのかという選択はチームの成績をも占う一大事である。
その大事なチーム編成と使用車両はすでに鬼監督が決めていた。チームはワシ、タカ、ハヤブサ、カモメ、ヒヨコと名づけられて分割された。ワシとカモメは6/4の土曜日に出走、残る3チームは翌日の日曜日に出走である。あわよくば土日両日優勝を狙う欲張り作戦なのだ。
この段階ではDE耐当日があらゆる意味で濃密な時間となることを誰も予想だにできていなかった。
チーム編成と車両は鬼監督が決めたと書いたが、実は車両が形をなしていないチームもあった。まさにエンジン作りマシン作りから始まったプロジェクトなのである。中でもエンジンは最重要要素である。なぜならDE耐のステージはツインリンクもてぎ。DE耐マシンにとってはほとんどが直線と言っても過言ではない。ライダーの技量は勝負を決定する要素の中でその重要度が著しく低い。極端に言えばDE耐はエンジンが速くて壊れなければ勝てるのである。
その車両整備を粘り強く実施したのがタカ組では三浦君であった。三浦、三浦、雨、三浦という具合である。ほかの3名は三浦君の献身的な作業に両手を合わせつつ決勝の走行を充分に堪能させてもらうにとどまった。
そして車両の準備が整ったのは公式練習当日の朝4時となってしまった。波乱のレースを予感させる逼迫した展開である。
公式練習
できあがったばかりのエンジンは当然のことながらデータがまったくない状態である。DE耐でもっとも重要なデータは“燃費”だ。タカ組は幸いにして4名のライダーのうち、整備作業での最大の功労者三浦君を除く3名のライダーが公式練習に参加できた。DE耐は合計で21リッターのガソリンを使用することができる。完走するためにはおおよそ28km/Lの燃費が必要になる。また、各ライダーごとに燃費がわかっていると、どのライダーに何周させて給油はいつ行う、という緻密な作戦を立てることが可能となる。
1回目の計測では
亀井:28.6km/L、永易:30.1km/L、菊チャン:30.7km/L
という結果を得た。燃費は上々であるがしかし、タイムが出ない。ハヤブサ組のELIC号にストレートで軽く置いていかれる。同チームではあるが宿命のライバルハヤブサに負けることはあってはならない。ハヤブサのタイムはこのとき2分46秒、タカは2分56秒であった。
2回目はこけるか無事かの渾身のタイムアタックを試みる。タカ組の車両04鉄筋号は昨年、長谷川鉄筋社長長谷川さんが出資して作成したPROPMANワークスマシンである。
「こんな周回は7時間できんぞ、というかこれ以上は無理だ」というぐらい開けっ放しで攻めに攻めたがタイムは2分54秒、このセションの燃費はなんと26.4km/Lだった。当該燃費では完走することさえ出来ない。しかも結構な量のオイル漏れも発見した。これは後刻オイルクーラーへのホース接合部のシールテープ損傷と判明し修復したものの「このままではいかんなあ・・・。」タカ組の苦悩に併せて翌日土曜日出走のカモメのエンジンがいかれてしまった。なんとかエンジン修復を終えみんなが晩飯にありついたのが夜中の1時過ぎ。チームPROPMANNに暗雲が垂れ込め始めるのを感じていた。
土曜の決勝レポートは他のチームにおまかせする。
土曜の夜
土曜決勝中に鬼監督からひとつの提案があった。「05鉄筋のマフラーの方がぜったい速い。換装しないか?ただしスイングアーム・サスペンションから交換する必要がある。」平均LAPで50秒でないと勝てないことは明白なので、永易さん、菊チャンと相談して即決した。レース終了後の余韻が漂う夜7時前には作業を開始し始める。スイングアームとマフラーの換装自体は9時過ぎには終了した。更に05鉄筋で出たトラブル
であるカムチェーンテンショナーすべりの対策が残されている。
何の関係もないヘルパーの人たちを含め他チームのメンバーが宿に戻るのを待たせたうえ、特にツボとヒヨコのライダー藤田、佐野、宇佐美たちには作業自体を手伝ってもらって作業が進んだ。カムチェーンテンショナーのすべり対策も終えた。ヒヨコのライダー達に手伝ってもらいエンジン搭載、外装装着、すべてを終えたとき夜中の2時を過ぎていた。菊チャンが大きな声で「ありがとうございました。」と叫んだ。俺も叫んだ。
ホテルへチェックインし風呂から上がって床に就いたのは3:00だった。「これだけの人を巻き込んでようやくここまでこぎつけた。明日は絶対チェッカーとる。」と誓いつつ「起きられるかな・・・」と弱気になって即効眠りに落ちた。
いよいよ決勝!
気合が入っているときの人間というのはすごいもので、5:30にセットした目覚ましに即座に反応し飛び起きた。しかも体も頭もすっきりしている。もてぎに到着すると、もて耐ほどではないにしてもピット回りがせわしなく緊張がみなぎっている。04+05鉄筋(04.5鉄筋としよう)の整備をひとしきり行い、パソコンに今日走行するハヤブサ組、ヒヨコ組、タカ組のLapと燃費のシミュレーションデータを入力する。なにしろ土曜日のカモメの基準データがあるので計画もたてやすい。
DE耐では2週の練習走行が義務付けられており、サイティングラップ、ウオーミングアップラップと併せて4周回の余計な燃料消費が必須となる。これらのデータも加味して各チームの作戦に従い第一ライダーの周回数を入力する。タカは計算上ガソリンが切れる直前の14周回でピットインすることを考えたが、ハヤブサは給油所が混雑する前にガソリンを貯め込む10周回でピットインする作戦を採用した。いろいろ悩んだ挙句、直前に12周回でピットインする計画とした。なにせマフラーが変わってしまっているのでいきなりガス欠という哀しい事態はなんとしても避けたい。タカ組内では三浦君に練習走行を走らせたほうがよいのでは、という意見も出たが、第一ライダーである亀井がサスとマフラー変更の影響を知るために、強引に練習走行ライダーも兼務させてもらった。
練習走行では燃料を消費しないようにとことんスロットルを絞る。しかし、昨日のマシンと大違いであることはこの時点で明らかに体感できた。回転の上がり方と限界の回転数が大幅に改善されている。「04.5鉄筋こりゃいけるぞ!こけなけりゃ大丈夫だ。」ところが、どうもサスに妙な動きがある。軽いボヨ〜ン・ボヨ〜ンという浮き沈みだ。進入から二次旋回に移行するまでの間に体感できる。タイムにはさほど影響なさそうだ。
ピットに帰って監督に伝える「これ速いよ。昨日のとまったく別物だ。」「だろ。(ニヤ)」そして永易さんにサスの動きを伝達「ボヨンボヨンするよ。サスは前のほうがいい。」すると監督が血相を変えて怒った「これからレーシングスピードで走ろうっていうライダーに、そんな不安にさせるようなことを言うなよ。今からサスの交換なんてできないんだぜ。どうしようもないことを伝えるな!なんも問題なしって何故言わん!」ごもっとも。ちょっと反省してサイティングラップに突入した。
タカ組は55番グリッドでスタート第2グループ。48番グリッドで第1グループのハヤブサのすぐ近くだ。でも第2グループは第1グループが完全に1コーナー消えてからのスタートになる。第1グループから確実に30秒のハンデを背負うことになる。「ま、あせってもしょうがねえ。俺の仕事は20番手以内でノントラブルの04.5鉄筋を三浦君に渡すことだ。まっさきにチェッカーを受けるのが目標だ。」
ハヤブサの第1ライダーツボがスタートしていった。お世辞にもよいスタートではなかった。しかも前に47台いるんだから序盤は苦労するだろうな・・・お、こっちもおねえちゃんが旗を上に掲げたぞ!GO!バイクにダッシュ。打合せどおり跨りつつスロットルオープン。クラッチをつなぎながらステップに足をかける・・・ってクラッチつながらないじゃん。「三浦君!ニュートラルだよ!」と叫びつつコースに入った。こけなくてよかった。
序盤は4,5台のトップグループと抜きつ抜かれつのバトルを展開した。しかしストレートのトップスピードに圧倒的な分がある。コーナー進入時にぶつけ合うかのごとく狂ったようにスプリントしているライダー達をせせら笑いながら進入で何度もインを指した。そのうちこっちがぶつけられそうになったので奴らを先に行かせて耐久モードに切り替えた。3周もするとバックマーカーが無数に現れ始めイエローが振られまくりだした。ピットウオールのボードはとても見やすく状況を的確に知らせてくれる。タイムはすでに2分53秒。練習走行のあの必死のタイムアタックはなんだったの?とニヤニヤ
しながら周回を重ねる。偶然イエローのない周があったのでスピードを殺すことなく余裕のコーナリングをした周回のタイムが2分48秒と出た。サスも攻め込めば攻め込むほど安定する。問題はなにもない。「こりゃ終盤のスプリント並みの勝負になったときは40秒前半は堅いぞ。勝てる。04.5鉄筋よ一番高いところに連れてってやるぞお。」
給油所に入ると土曜走行のカモメチームの森君、中尾君とワシ組のヒトシさんが出迎えてくれた。「今6位っすよ。ハヤブサはオープニングラップ47台抜きの1位っす。アナウンス
がPROPMAN何者だ?って叫んでますよ。」「うそ?」ハヤブサの1位よりもタカの6位のほうが意外だった。こりゃワンツーいっちゃうな。と心の中でほくそえんだ。
第2ライダーはクルーズコントロールの三浦君。計ったように同タイムでLapを刻んでくるので耐久レースにこれほど心強いライダーはいない。しかも低燃費で言うことなし。毎周毎周2分53秒前後で返ってくる。ベストタイムは2分52秒0だった。一時モニターには1位ハヤブサ、4位タカと出ていた。実に気持ちよかった。でもレースはそう甘くはない。三浦君が給油所に入った直後トラブル報告があった。
シートがはずれているらしい。ボルトとナット。大き目のタイラップを用意する。三浦君が来た。なんとガムテープでふたをしていたにも関わらず、ボルトが2本とも欠落している。新しいボルトを装着した。およそ30秒のロス。しかしこんなトラブルはへでもない。
必ず取り返せる。それにしてもシートは序盤でもう動いていたらしい。はずれたシートで53秒のクルーズコントロールなのだから「ほんと、いい仕事してますねえ三浦君。」
第3ライダーはカメラマン永易さんだ。レース経験は豊富ではないがDE耐は経験者で信頼できる。55秒前後のペースで周回を重ねる。順位は10位ぐらいに落ちたものの、まだまだ
序盤でできすぎの展開だ。2周り目になったときの勝負どころではみんなこれ以上のタイムが望める。タイムは徐々に上がり始めた。そしてとうとう三浦君のベストを抜き去る2分51秒630。永易さんが給油所に入った。歓迎してやろうと思っていたらまたもトラブル報告。今度はオイルクーラーが割れているらしい。幸いオイル漏れはないとのこと。大き目のタイラップとワイヤー・ワイヤーツイスターを用意する。振動でオイルクーラーのハンガーと本体の接合部分にクラックが入ったらしい。亀井がタイラップ、三浦君がワイヤーでなんとか応急処置した。これしきのトラブルはトラブルのうちには入らない。なにせPROPMANは転倒によって折れたサイレンサーを、レース中にぶった切って短いサイレンサーを製作してレース復帰させちゃうチームなのだから。
第4ライダーは新婚さんの菊チャンだ。もともとミニバイク等のレース経験者なのでレースウイーク中の整備作業などではとてもきびきびとした動きをしていた。奥さんによいところを見せるためにもここはひと踏ん張りもふた踏ん張りもしてほしいところだ。公式練習ではタイムが出せずに苦しんでいたが、3分ジャストで周回してくる。ここで雨がポツポツと降り始めた。「チャンス!雨だ。雨ならまかせとけ。降れ、もっと降れ!」ポツポツとした雨が降り止まない状況で菊チャンは2分59秒600のベストタイムを出してきた。すばらしいじゃないか・・・。喜んでいたのもつかの間、突然土砂降りの雨となってしまった。ピットウオールのサインマンや給油隊の人達がずぶ濡れになってしまう。車に積んである合羽やポンチョを4つかき集めいろんな人に渡す。そのとき永易さんが「給油したほうがいいよ。ペース上がんないんだから。絶対給油だよ。」でも亀井は「いや、まだ7周しかしていない。3L入らない可能性もある。そうしたら終盤でガス欠もしくは無用の給油になる危険性もある。もう少し走ってからでないと損だ。」結局菊チャンをそのまま走らせたが、なんとレースが豪雨のため赤旗中断になってしまった。「ええ!雨で赤旗のレースなんてこの世に存在するのか?」
レース再開までの間ピット内では亀井がひとり騒然となっていた。レースシミュレーションを雨用にすべてやり直すのだ。そういう不測の事態のためのパラメータは余裕をもって用意はしていたものの、各チームからの変更依頼に対応しつつ自チームの戦略の練り直しも同時にしなければならない。脳みそ1個とパンチングする手を2本今だけ貸してっ。
ハヤブサは豪雨の瞬間に給油所に入りガソリンをたっぷり溜め込んだ。タカは余裕はあるものの無給油では残り時間を走りきることはできない。なんとも申し訳ないことだが、菊チャンにコースインしてセーフティーカーが消えた直後の周でピットインするよう指示する。これは菊チャンのDE耐終了を意味する死刑宣告だ。そして雨大好きの亀井が満タンの04.5鉄筋でハンデをすべて挽回する作戦だ。亀井が失敗したら何もかもが無になってしまう。プレッシャーよりも気合が勝っていた。
菊チャンが04.5鉄筋を渡してくれた。皮肉なことに今度はノントラブルだ。コースインする。「ドラマを作ってやる」入れ込んで入った最初の2コーナーで後輪がずるっと滑った。「あれ、まだバンクさせてないぞ。」慎重に1周目を回る。ヴィクトリーの1個目に全開で突入すると今度は速くて小さなスライドを起こした。その後も少しだけペースを上げようとすると危ないスライドが顔を出すを繰り返していた。ピットサインもずっと「UP」を出し続けている。よくわかっている。モニターで上位が3分5,6秒で走っているのを確認した。現在の自分のタイムが3分16秒から18秒。しかしペースを上げられないのだ。トップグループの何台かにLapされた。悔しさがこみ上げてつい追走したくなる。しかしここでこけたらすべてが終わる。自分だけのレースならばそれもよかろう。しかしこのレースだけは自分のプライドのためだけに冒険してはいけないレースだ。
我慢の走行を続けているとあることに気づいた。抜いていったバイクはすべて大径ホイールバイクだ。04.5鉄筋と同じ12インチ車には抜かれていない。つまり12インチ車では17インチ車よりもリスクを背負わないと雨では速く走れないのではないだろうか?この考えが正しいのかどうかはわからない。そんなこんなで大変なものを見てしまった。ハヤブサのドラゴンがすごい勢いで抜いていったかと思ったら、翌周の130R進入でマシンを止めているではないか。「何やってんだ?勝てないぞおい。」
次の周もまた次の周もドラゴンはクラッシュパッドの向こうにたたずんでいた。PROPMANで上位を狙えるのはタカだけになってしまった。ピットウオールの必死のUPサインを無視するように16秒ペースを維持する走行に切り替えた。ここで心中したら何も残らなくなってしまう。消極的過ぎて涙が出そうな考えだが、1台でも多くの敵の自滅を待とう。この瞬間に優勝は完全にあきらめた。
シールドが曇っていたのもあったろう、サインマンが合羽を羽織っていたので視認しづらくなっていたこともあるだろう。鬼監督の「P」のサインつまりライダー交代を何周にも渡って無視して走行していたらしい。亀井が認識したのはあと2周の「L2」だけだった。なぜ「P」がでないのかいぶかりながらも交代の指示なくピットに入れば準備ができていないライダーにバトンタッチすることになり、タイムロスになる。ピットウオールで踊るように怒ってサインを出す複数のサインマンをようやく視認して返ってくると、激怒された。三浦君が走り出した直後にセーフティーカーが入ってしまった。順位はライダー交代前と変更なくチェッカーとなってしまった。
これだけの好意と犠牲の上に成り立った耐久レースは周回順位5位、純粋順位9位という実に2線級の結果で終わってしまった。この悔しさは決して忘れることができない。次を見てろよ。
propman.jp タカ 各ライダー
亀井将博 40才を超える超おやじライダー
永易 量行 毎年DE耐に参加する為に写真を撮る仕事をしている
菊地 昭男 最近結婚しキャバクラもやめた素晴らしいライダー